このページの運営者が出会った思い出深い国と人々達、独立間もないエストニア共和国を訪れた時の2ヶ月間の足跡を当時の日記と記憶で綴る訪問記
1993年北欧フィンランドヘルシンキからエストニアへの訪問記凍った海を進む船のトップイメージ
エストニアとの出会い

Index

1:プロローグ

2:旅立ち&期待1

3:旅立ち&期待2

4:いよいよ到着

5:不安&ピンチ

6:ついに再会

7:モスクワでの出来事

8:モスクワでの出来事2

9:モスクワでの出来事3

10:いざタリンへ

11:いざタリンへ2

12:いざタリンへ3

13:ホームタウンパルヌ



”私とエストニアとの出会い” 10:いざタリンへ

何時ごろであろうか、マレがボクが寝ていた部屋にやってきた。マレも少し眠そうだ、、それはそうだろう、夜中というより既に丑三つ時のような時間のボクの出迎えに付き合っていたわけだから、、、その後判明したのか既に知っていたのかは失念してしまったがマレは当時日本で言う中学校の先生なので朝は早い人だったのだ、、当然普段は夜中まで起きていないのだ、、、全てが感謝であった、、、

昨晩迎えに来てくれていた旦那とマレの友人と思われる女の人が1階のリビングダイニングに居た、子供は既に学校?に行った後のようだった、どんな子供(達)なのか興味があったので会えずに少し残念であった。

考えてみれば今日はウィークデーで(確か水曜日辺り)皆学校や仕事に行く日なのだ、、タイミング的に忙しい時に来てしまったという事なのだ、という事はマレも実は学校を休んでわざわざボクの出迎えに来てくれていた事になる、しかも見ず知らずの友人も協力してくれて、、、いゃいゃ、、、本当に感謝。

だがその当時のある種間抜けなボクはありがたいという気持ちよりもマレに再会できた、未知の国エストニアにたどり着いた、という事だけで唯々嬉しく興奮している感じだけであった、、それが若さという事なのだろう、、今振り返れば何で週末の時間がある時に到着するようにしなかったのかな〜と思うのだが、、、多分安い航空券を探して予約取れたのが多分その日程だったのだろう、、、

とにかく旦那さんも、マレの友人も忙しそうなのでのんびりとここで朝食を頂くという状況ではなく、マレもおなかがすいているのでとタリンに出てどこかカフェとかで朝食を食べようという事になった。

重いバックパックを持って旦那さんのBMに積み、マレの友人とはここで別れ、旦那さん、マレ、ボクの3人で町へ向かった。

天気は相変わらず薄どんよりとした曇り、、夏には青々としていたであろう木々の葉はもう既に枯れ、薄黒い感じの木の幹が目立つようになっている、、外を歩く人の服装はもう既に東京の真冬の格好に近い、、、もうすぐそこに来ている厳しい冬の到来を感じさせるような肌寒さを感じつつBMの後部座席に座り窓から見える景色を眺めていた。

恐らく昨晩迎えに来てくれた逆の方向に向かっているはずなのだが初めて見るような景色であった、、夜のタリン、特に郊外は街灯はあるにはあるが数が少なく色もオレンジ色っぽいもので薄暗い、、、でも、この色とそこに浮かぶ町並みが何とも外国感を感じる部分ではあったのだが、、夜と昼とでは景色はまったく違っていた。

でも印象はとにかく何となく暗く、グレーがかった色の大きな建物、恐らくマンション的なアパートと町の中心に近づくと商業的なビル、建物も散見された。

日本(東京周辺)と違うところは沢山あったが、大きく違ったと思える所は町に宣伝広告や看板がほとんど無い事だった、、、普段それがうるさい位にあちこちにあり、華やかな東京とかに慣れていたボクにとってははそれらの光景がある種新鮮であった。

もちろん、走る車、歩く人々、バス、路面電車、、全てが見ていて面白かった、、、特に車好きなボクにとっては時々走っているロシア製のクラッシックカーの様なアンティークとも言える古い自動車が現役だった事はとても嬉しく、日本ではまず見られない光景に見ていて愉快であった。

でも、エストニア人にしてみると、早くそんなソ連時代の暮らしから脱したい、早く欧米化したいと願っていて(と後で知る事になるのだが)、クラッシックカーがあちこちにある光景をありがたがっているボクとは真逆の感情を抱いていた。

という事は、時々見る欧米の車、特にマレの友人夫婦がBMに乗っている等という事は当時のエストニア人にとってはかなりの憧れ、相当裕福な家庭であった事は間違いないだろう、、唯つたない英語しかしゃべれなかったボクに彼らについて詳しく聞く機会は無かったのだったが、、、

でも新しい車はある種当たり前になっていたボクにとって日本や欧米の車に特に関心が無かったので、新しい、あるいはちょっと古い欧米の車にはまったく興味を示さなかったが、、もし仮に当時のエストニアという所で日本の車にお目にかかる事があればそれは別の感情が沸いてきたかもしれない、、、残念ながらその時は日本の車は見かけなかったが、、、

程なくボク達を乗せたBMはタリンの中心地に入っていた、郊外とは異なりさすがに多少忙しい感じが見て取れた、人々も多く、車も多い(といっても街の中心にしては少ない)路面電車も頻繁に見かけた、、どの辺りであったであろうかある程度の道幅のバス通り沿いのカフェレストランのような所に着いた。

外はボクにとっては既に寒い気温であったが冬が寒いエストニアは屋内はきっちり暖房を効かせているので寒さの心配は無い、その意味でドアはまず間違いなく2重のドア、外ドアと内ドアになっている、でもそんな建物のつくりからなのか、多くの店、レストランを外から見るとお店、レストランに見えない事があった、、3人で中に入ってパンとコーヒー、紅茶辺りを注文して食べる事にした。

当然ながら、ボクは現地通貨のエストニアクローンを持っていない、、彼らにご馳走になってしまった、、何から何まで本当にサンクス、、、。

朝食後忙しい旦那さんはマレとボクをタリンの長距離バス発着ターミナルまで送ってくれて、そこで彼とは別れた。

その時は特別な感情を抱く事も無かったのだが、その後彼らとは今に至るまで会う機会がなく、もう2度と出会えないのかもしれなかったのでもう少しきちんとお礼をしておけばよかったな〜と今振り返れば思う、、、

バスターミナルには地元の人間の人たちはもちろん、旅行者らしき人々見られ、観光シーズンではないが大きなバスターミナルとなればさすがににぎやかであった。

観光客等も集まる所なのでそのバスターミナルには大きな荷物を預かってくれる所があった、でもコインロッカーというものは無く、有人のサービスでホテルの受付の様な感じで荷物を預けて引換証をもらう仕組みであった。恐らく有料だったと思うがそこはマレが対応してくれてしまっていたので分からなかった。

やっと身軽になり、マレと二人でタリンの中心地の旧市街へ向かう事にした、ここからは公共の交通機関を使うのだがこれがボクにとっては案外面白い体験であり、マレにとっては何でもない事であったであろうが、むしろこういった地元の人に混じった体験が旅の醍醐味だと思う。

マレがどこに行くのかはさっぱり分からなかったが、とにかく彼女についていけば安心であった。マレは少し目鼻立ちがはっきりした一般的な欧米人的な雰囲気の女性だが、彼女はある意味は超しっかりした女性できっちり物事を進めていく力強い心の持ち主で、それは日本で初めて会った時にすぐに分かったのだが、当時は妊娠後期でかなり身重であったのに、かなりの強行軍の観光スケジュールをものともせず明るくあっけらかんと笑っていた彼女である、ボクと同年代とまだ若いがボクより精神的に数段成熟した太っ腹母さん的な雰囲気の女性である。

公共交通機関の乗り方を知らないボクはマレについていくしかないが、乗っている乗客の誰一人としてお金を払うとか切符を買うとかをしているように見えなかったのが不思議であった、、、ボクらがキセルだったのかどうなのかは未だに不明だ、、、(が、後に定期を持っている人が多いのだと分かり、キセルもいるが率は低いと知る)トラムを降り、少し冬の寒さが肌身にしみ始めたボクらであったが何とも雰囲気のよい旧市街の中へといよいよ歩き始めた。

 つづく  エストニアとの出会い 「いざタリンへ2」