このページの運営者が出会った思い出深い国と人々達、独立間もないエストニア共和国を訪れた時の2ヶ月間の足跡を当時の日記と記憶で綴る訪問記
1993年北欧フィンランドヘルシンキからエストニアへの訪問記凍った海を進む船のトップイメージ
エストニアとの出会い

Index

1:プロローグ

2:旅立ち&期待1

3:旅立ち&期待2

4:いよいよ到着

5:不安&ピンチ

6:ついに再会

7:モスクワでの出来事

8:モスクワでの出来事2

9:モスクワでの出来事3

10:いざタリンへ

11:いざタリンへ2

12:いざタリンへ3

13:ホームタウンパルヌ



”私とエストニアとの出会い” 12:いざタリンへ3

身も心も一気に温まり、いつまでもこの暖かくやさしい雰囲気に包まれていたいと思っていたボクであったが、、、こんな幸福な時間は長くは続かないのである、、、終わりがあるからいとおしい、、、等と感傷にふけっていたわけではないが人々の優しさに触れて本当に人間の幸せって言うのはこういった他愛も無い人々のふれあいから生まれるのだな〜としみじみ思っていたボクであったが、、、

マレはきちんとこれからどう行動するかのかを計画立ててくれていて、さすがしっかりもののマレ、彼女に任せていれば本当に安心であった。そのマレ曰く、どうやらこの街タリンには一時的に居るだけでマレやリーネその他日本で出会った多くのは友人達は別の街に暮らしていてこれから直ぐにその別の街に移動するために長距離バスに乗る必要があるらしい。

う〜んワクワク!少し慣れ始めたタリンを離れるのは少し寂しいく優しくしてくれたリーネのお姉さんらと別れるのはちょっと悲しいがリーネのお姉さんだし又会う機会もあるだろうし、むしろ日本で会った友人たちが暮らす街に思いを巡らし彼らに再会出来る事を思うとワクワク感が止まらなかった、、、一体どうしているんだろうか、、、あの人、この人、、、たった一週間だったが濃密だった彼らと過ごした日本での時間、、、そして、ボクははるばるここまで来てしまったのだ、、、彼らに会うために!、、、、

しかし、体を温めたいがために暖かい紅茶を頂いた訳だが、、、これが後々ちょっとやばい事になるとは思ってもいないボクであった、、、

暖かい屋内から眺める外の景色はさっきまで体で感じ見ていた景色とは又違って見えるから面白いものだ、、、人々は黙々と歩き通り過ぎていく、、、あまり厚着していない人もいるが既に真冬なみに厚着している人々もいる、、、人々が吐く息が白く空気中を漂う、通り過ぎる自動車やトラックも白っぽい蒸気を含んだ排気ガスを吐き出し通り過ぎてゆく、、時々調子の悪い車がブルブルと車体を揺らせながらアクセルを吹かしながらどこかへ消えていく、、、寒いがゆえに当然の事だ、、、、

エストニア人にとっては何でもないいつもの日常なのだろうが、、、ボクにとってはその一つ一つが目新しく面白いのだ、、、マレやリーネらとしばらくお姉さん宅でくつろいだ後ボクらは朝送ってもらった長距離バスが発着するバス停というよりもバスターミナルへ行く事にした。

リーネのお姉さん宅からそのバスターミナルへはそれ程遠くないらしく、トラム等を使うまでも無くいけるらしいので体は温まってはいたが、日の光も無く既に夕方の時刻は寒さが急に来ていて耳も鼻も冷えて赤くなっていて鼻汁も出始めた寒さに少し弱いボクとしてはある意味助かった。

フードがついたジャンパーは着ていたが、それを被るほど寒くは無い、、が、吸う空気は冷たくしばらく外に居ると鼻頭の感覚は少し鈍くなってしまっていた、、、動いていればそうでもないがじっとしていると手足が冷たくちょっと痛くなる、、、寒いと解っていたのでいつも日本で履いている皮製の靴に暖かいだろうとコンソールをもう一枚入れていたのだが、それがむしろ血流を圧迫して冷たくなっていたように思う、、、何ともひ弱く情けないボクの体だが、、、こんな寒さはまだまだ序の口というのは後々味わう事になる、、、

荷物を預けてしまっていたので何も土産とかお礼にあげるものも無く、、丁寧にリーネのお姉さんにお礼を言って又再会できる事を願って別れ、3人でバスターミナルに向かった。

実際バスターミナルまでは遠くなかったように思うがどの位歩いたのかは記憶に無い、、、多分マレにただくっついていっていたせいだろう、、、自分で何かしら見出し何とかしなければならない状況ならきっと克明に覚えているだろうが、、、バスターミナルでは朝に預けたでかいバックパックを無事に受け取りいかにも旅行者という風貌、しかもアジア系、、、こんな時期に旅行者は少なく、ましてやアジア人はゼロ、、、かなり浮いていた存在だったに違いない、、通り過ぎる人々やそばに居る人が珍しそうに見るのが良くわかった。

寒い地域のせいなのか、暮らしが厳しいせいなのか、マレとリーネ、お姉さんらはとても優しく暖かい笑顔を見せるのだが、、街でみる多くの人々の表情は笑顔は少なく、むしろ奇妙なものを見るような表情をするおばさん達も居た、、、数年前に人生初の海外一人旅のアイルランドで出会った人たちと比べると、どちらかといえばあまりフレンドリーな感じではない印象だったが、、、それはやはりそれまでの暮らしや社会環境がそうさせていたのだと後々理解する、、、

これが、田舎の方になると又ぐっと違った印象になるのは今振り返ってみると解るのだが、とにかく何もかもが初めてで見る物、聞くもの、全てが強烈な心象で非日常の連続がボクの元々ある好奇心を刺激していてとにかく面白かった、、、エストニア到着早々ピンチがあったが、以外にもやばそうな若者が助けてくれたり、仮に笑顔は無くとも根は悪くない人たちなのであろうという事は解っていた。

比較的大きなバスがボクらが乗るバスなのだが、ソ連のバスではないようだが少しくたびれたヨーロッパ製の中古のバスのようであった、、、暖房は一応効いてはいるが、窓際は冷気が冷たく、足元は冷たい空気が漂いとても快適とはいえなかったが、そんなバスに揺られマレとリーネと一緒に彼女らの地元、ホームタウンのパルヌへ向かう夜の遠い道のりでこれから出会うであろう友人達やまだ見ぬ人々、暮らし、街、出来事を思うと大して気にならなかった。


 つづく  エストニアとの出会い 「ホームタウンパルヌ」