このページの運営者が出会った思い出深い国と人々達、独立間もないエストニア共和国を訪れた時の2ヶ月間の足跡を当時の日記と記憶で綴る訪問記
1993年北欧フィンランドヘルシンキからエストニアへの訪問記凍った海を進む船のトップイメージ
エストニアとの出会い

Index

1:プロローグ

2:旅立ち&期待1

3:旅立ち&期待2

4:いよいよ到着

5:不安&ピンチ

6:ついに再会

7:モスクワでの出来事

8:モスクワでの出来事2

9:モスクワでの出来事3

10:いざタリンへ

11:いざタリンへ2

12:いざタリンへ3

13:ホームタウンパルヌ



”私とエストニアとの出会い” 7:モスクワでの出来事

雨戸の無い窓ガラス越しに入ってくる明るさに自然目が覚め、昨夜は窓から眺めていたが余り良く見えなかった近所の景色を見ながら日本から持ってきていた当時は一般的だったフィルムを使うタイプのピント合わせ無しのバカチョンカメラ(と呼んでいたと思う、、)を取り出し、一枚パチリ、、、もちろんちゃんと撮れているのかどうかは現像するまで確認できない、、、それが普通だったんだよね当時は。

昨夜も何となく薄暗い明かりの中に浮かぶ建築中の建物が見えていたが、ここは正に新興住宅区域らしく直ぐ隣りやその隣りも建築途中の戸建住宅が並んでいた、、、コンクリートブロック等の構造物もまだむき出しで建物も回りも資材などが多く置かれていて建て始めてまだ間もない様子、、マレの友人の家は気が付けばまだ比較的新しい、、、何となく新しい感じの匂いがする、、、引っ越してきたばかりなのだろうか、、、とにかくまだ到着してからの状況が何もわかっていないボクでした。

外の天気はイマイチすっきりしない曇り空だったが家の中はある程度暖房が効いていたので外の寒さは分からなかった。時間は何時ごろだっただろうか、、恐らくまだ皆起きてきていない感じなので朝早かったと思う、、、でも何となくまだ気が張っているのか緊張なのか、パッと目が覚めてしまい全然眠くない、、、多分時差もあるんだろう、、詳しくは覚えていないが冬時間なら日本と7時間、夏時間だとしても6時間の時差だから早朝に起きたとしても日本ではもう昼な訳でパッチリ目が覚めたのもそのためなんだろう。

でもまだ寝ていると思われるマレとかマレの友人らに悪いから彼女らが起きて来るまでおとなしく待つ事にした、、、待つ間に走馬灯のように日本からエストニアにたどり着くまでの道のりを思い返していた、、、とにかく全てが違う、、、そこで思い出されるのはモスクワで飛行機を乗り換えた時に一泊した時の出来事だ、、、、あそこはすごかった、、、良くも悪くも、、、エストニア訪問記から少しずれるが少しこのモスクワでの出来事も記しておきたい、、、

到着してまず驚いたのは空港ビル内の暗さだ、、外が曇りだったのもあるが、それ以上に電灯が少ない、、取り付けられていないのだ、、、明らかに資金不足のモスクワの空港、、壊れたままのエスカレーター、、物乞いしてくる掃除のおばさん、、、何がどうなっているのかアナウンスも(あっても多分理解できないだろうが、、、)案内も何もなし、、、どうすりゃいいのか解らない多くのトランジットのパッセンジャー達、、、もちろんそこにボクも含まれている、、、

何とか係員らしき軍服を着た航空関係者にホテルにはいつ行けるのか?らしき事を英語で聞いても言う事が殆ど解らず、、、トランジットホテルに泊まる人達は一人60ドル米ドルで払わされた、、、ちゃんと米ドルのキャッシュも用意していた俺は直ぐに払えたがなかったらどうなっていたのか、、、ものすごい悪いレートで交換させられたのかもしれない、、、その意味では良かった、、、

で、金を払って何だか搭乗券の様なものに入国審査?の判子をついたものを渡された、どうやらこれがトランジット用のパスのようだ(正式のビザが無い通過客は空港の外のホテルに行く為に仮のビザの様なものが必用だった)、で、ただそこで待て、と言っているようだ、、ただ待てって言ってもね、、、、散々空港に待たされ続け他のトランジットを待つ旅行者も疲労がピークに達していた、、、

ホテルに行くのを待っている客の一人はアメリカ人らしきおじさんで、その人と疲れがピークに達していたからか気兼ねなく何となく仲良くなっていた、、、心細く寂しいボクにとってはそんなおじさんでも有り難かった、、、もちろん会話など殆どしない、ただ目を合わせてうなずいてお互い慰めあう程度だ、、、そんな疲れきった客が床や階段にすわりホテルに行くのをひたすら待った、、、とにかくその人達をみていれば取り残される事も無いだろう、と、目を離さないように注意して空港の一番端の暗いカウンター周辺で時間を潰した、、、

しかしモスクワのシェレメチボ空港はこれが国際空港か?と驚くほど汚く、危険なかおりがした、、、やばそうな雰囲気の2階ラウンジ、、、やばそうなトイレ、、、とにかく雰囲気が普通でない、、、普通の観光客がモスクワ経由を回避する理由が良く分かった、、、で、おどろくのは空港のちょっとした空間等にダンボールの小屋らしきものが幾つも出来ていた事だ、、、まさか乞食が住んでいるわけじゃないだろうが、似た雰囲気、、、一体何なんだあれは、、、飛行機が飛んでいないのか何なのか、、、とにかくそんな光景にボクの心は不安でいっぱいであったが、、、舐められてはまずいと気合だけは保っていた。

夕方頃にモスクワに到着したが、夜中近くまで空港に待たされていた、恐らく一々客を運ばずまとめて運ぼうという事なのだろう、、、最後に到着する飛行機の通過客がくるまで待つ、という事だったんだろう今から思えば、、、で、それが何時だったか忘れたが人が動き出したのに気が付き、俺も移動する準備をして置いていかれないように着いて行った、案の定何の案内も、アナウンスも無い、、、当時のモスクワではサービスという概念が無い、そういう事なのだ、ボケッとしていると誰も助けてくれない、気が抜けなかった。

待たされていた2階から壊れたエスカレーター横の階段を下りて1階に行き、トランジット客用の出入り口?付近で又待たされた、、、皆状況を解っている様子でとにかく黙って待ち続けた、、、直ぐにバスか何か来るものかと思っていたが中々来ない、、、で、一階のこの出入り口付近は暖房も弱く寒い、、、待っている客の中には黒人も居た、スーツを着ていたのでビジネスマンだろうか、、、様々な理由で様々な人達がこの空港を通過していくのだろう、で、多分彼らは経済的な理由でモスクワ経由を利用しているに違いない、、、ヨーロッパの一流キャリアと比べると当時のアエロフロートはかなり航空券は安かった、、、だから仕方が無い、、、当初は苦痛であった期待が裏切られ待たされるという事も慣れというか麻痺というかこういった苦労がだんだん普通に思えてきていた、、、、

どの位待ったか鉄の扉が開き外に古い大型バスが待っていた、パスをチェックして客を乗せようやくホテルに移動するようであった、、、そのバスは空港端の専門のゲートへ向か警備員の軍人らしき男も一瞥した程度でいいつもの様子らしく顔パスでゲートは開いた、、、向かうホテルは空港からすぐ側のホテルで、まぁとにかく何か事が進んでいるという事にいくらかの安心感が生まれていた、、そして到着したホテルのボロさにも驚いた、、1980年のモスクワオリンピックの為に建てたものらしく建物自体は大きくある意味立派だったがその後資金不足でメンテナンスが行き届かず痛み激しかった、、、80年代のソ連は正に経済的破綻が色濃く出てきていた時期でそれが91年のソビエト崩壊で拍車が掛かり正に混乱状態、、、修理する金が無かったんだろう、、、

寂しい受付でキーをもらい、食事のイラストがかかれたカードを渡された、、ミールクーポンと言っていた、、どうやらこれで食事をする様だ、、、しかし何処で何時とかは解らない、、、それは他の客も同じで誰かがそれを受付の人に尋ねていたので、聞き逃すまいと無理やり食い込んでいった、、、ヨーロッパ人らしき旅行慣れした様子の男が聞いていた、、これで少なくとも場所と時間は解った、、、部屋にはエレベーターで上がっていったがとにかく作動一つ一つがうるさく振動がすごく、又ボタンも超アナログ的で強く押さないといけないものだった、、で、ちょっと笑えるというか本当は怖いが、エレベーターが行き先の階に到着してドアがガラガラと開くと、フロアーから10センチ程度段差が出来ていた、、、うゎ〜、、、精度はかなりアバウトであった、、、

部屋のドアの建てつけも悪く一応ドアとしての機能はあるが床に擦れていた、、、ベッドが二つで広さはまぁまぁあった、一応シャワーが浴びられるようにはなっていた、、、階数はかなり上のほうで窓からの景色はそんなに悪くは無かった、ただもう夜だし真っ暗な中に薄っすら見えるのは延々と続く森と空港に繋がっている幹線道路と空港の照明のみ、、街外れの空港なので他には何もなかった、、、でも、あのロシアのトラックの音は独特で、ギアをガリッっと鳴らしながら変速ギアをシフトさせ走っていく音、、、調子の悪い感じの排気音、、、そんなトラックが何台も何台も走っていくのをしばらく眺めていた、、、

水は出たが茶色く濁っていて、洗面器は錆の跡で真っ赤、、、壊れた引き出しや棚、、、部屋にあったのはベッドと小さい机と椅子くらいでテレビは無かった、、何というか、こんな事を言うのも変だが、そういった全ての非日常をある意味面白がっていたボクだった、、、本来なら心配するべきなのかもしれないが、、それはそれで案外楽しんではいた、、、まぁそれも翌日のモスクワ空港では冷や汗タラタラのピンチに突き落とされるまでなんだが、、、

まぁそんな状態でモスクワのホテルについて何もする事がないから日本からウォークマン的携帯カセットプレーヤーを持ってきていたのを思い出し、それにはラジオと録音機能が付いていて好奇心旺盛のボクは早速当時のモスクワのラジオ放送を聴いてみようとチューニングを合わせてみる、、、FM放送な何かしらキャッチしていた、、、ラジオなのかテレビなのか、、、何とも聞いた事の無いような音の言語、、、一種独特の効果音、、、合間に流れる音楽、、、どれもこれもはじめて出会うものばかり、、、そうか、今俺はあの鉄のカーテンに長く閉ざされていたロシアに来ているのだ、、、かつての仮想敵国、、、そう思うと何となくワクワクしているボクであった。

元々子供の頃からラジオ放送の音とかテレビアニメのテーマソング等をラジカセ等に録音したりして後で楽しむのが好きだったボクはこのロシアの番組も録っておこうと録音用に持ってきていた120分テープをセットして流れてくるニュースや音楽を少し録音した、、、そのウォークマンはマイクもつけられるタイプでそれも試してみる事にした。空港がすぐ側なので飛行機の音、側を走るトラックの音、、、まぁそういった事に興味の無い人にはつまらないものまで少し録音したりしていた、、録った物を聞いてみると案外ちゃんと音を拾えていた、さすが日本製だ。(笑)

まぁそんなこんなで多少緊張感から開放されたひと時を過ごしていたが、夜中なのだが飛行機を降りてから殆ど何も食べていなかったのでさすがにはらがへっていた、、、という事でミールクーポンを持って食事をしにいこうと普通に一階のレストランへ向かうボクでしたが、、、


 つづく  エストニアとの出会い 「モスクワでの出来事2」