このページの運営者が出会った思い出深い国と人々達、独立間もないエストニア共和国を訪れた時の2ヶ月間の足跡を当時の日記と記憶で綴る訪問記
1993年北欧フィンランドヘルシンキからエストニアへの訪問記凍った海を進む船のトップイメージ
エストニアとの出会い

Index

1:プロローグ

2:旅立ち&期待1

3:旅立ち&期待2

4:いよいよ到着

5:不安&ピンチ

6:ついに再会

7:モスクワでの出来事

8:モスクワでの出来事2

9:モスクワでの出来事3

10:いざタリンへ

11:いざタリンへ2

12:いざタリンへ3

13:ホームタウンパルヌ



”私とエストニアとの出会い” 9:モスクワでの出来事3

その掃除をしている年配の太ったおばさんを何となく見ていると、おばさんはボクの顔をしきりに見ながら掃除をしながらゆっくりと近づいてくる、、、見れば失礼ながら何ともみすぼらしい印象のおばさんで、明らかに貧しさが漂っていた、、、どうやらボクに向かって何となく物乞いをしているようだ、、、でもおばさんとしては仕事中なので開けっぴろげには出来ないので掃除をしながら哀しそうな顔でしきりにこっちを見て、細かく会釈するようなしぐさで物乞いをしてきている(と捉えた、、)、、、う〜ん、、、しばらくこのおばさんを見ていたが何とも不憫に思えてきていた、、、

お金は無いわけじゃないが米ドルと日本円だけだし、、、細かな札は無かったよな〜、、、等と考えながらニュースか何かで93年当時のロシアはソビエト崩壊後の混乱等でルーブルの価値が暴落し、ハイパーインフレ等に見舞われ社会生活は疲弊していて庶民の月給は日本円で4〜5千円位だと聞いたような気がする、、、だとすると、日本人にとっての千円〜二千円はなんでもないかもしれないが当時のロシア人にとってはとんでもない大金だったんじゃないか、、、等と思っていた。

そのおばさんはとにかく側に来たり離れたりうろうろしながら掃除しながらこちらを気にしていた、、、気の毒に思いいくらかでも恵んであげようかと思っていたが他の宿泊客の居る前でお金を渡すのも何となく気が引けたし、あげる事が良い事なのかどうかも解らなかったし、申し訳ないがその時は何もあげずに席を立ちレストランを後にした、、、

ただ、何となく気になりレストランを出た直ぐ横のロビーのベンチに座りそのおばさんの様子を見ていた、、、そのおばさんは悲しそうにボクを見ていたがそのまま掃除を続けていた。

う〜ん、、やっぱり気の毒だしあれだけ必死に見ていたし、、、迷っていたボクであったが持ってきていたポーチの中を確認してやっぱり恵んであげようと気が変わり、日本円じゃ両替もできないかもしれないので米ドルをあげることにした、、、小さな額の紙幣を探したが一番小さいので10ドルであった、、、ちょっとあげすぎかな〜とは思ったがまぁいいや、と思い、10ドル紙幣を取り出し手に小さく折りたたんで握り締めおばさんの様子を見ていた。

じっと見ているボクの視線に気が付いたおばさんに「こっちにおいで」と合図した、、、するとそのおばさんは掃除をしながら廊下に出てきた、、、おばさんは明らかに周りを気にしていた、、、多分旅行者、宿泊客に接触してはいけない身分だったのかもしれない、、、何となく怯えているような雰囲気でホテルで働くほかの従業員の様子を気にしながらボクの方に徐々に近づいてきた、、、という事は他の人に悟られないようにあげないとおばさんも困るだろうし問題になるかもしれないな、と理解した。

ある程度ボクの近くに来た時におもむろに立ち上がりそのおばさんの側を自然と通り過ぎるようにしながらさっと小さく折りたたんだ手早く10ドル紙幣を渡した、、、そのおばさんはボクが何をしようとしているのかをちゃんと理解し、極自然と受け取り何事もなかったように掃除を続けながらボクから離れた、、、多分お金か何かという事を解っていたのだろう、、嬉しそうにスパシーバ、スパシーバ、とこっちを見ながらロシア語でお礼を言い続けていた、、、OK、OK、と、直ぐにその場を離れたボクであったが頭の中で「俺がした事は良かったのだろうか?、、、困っていたんだろうし何かの助けになったら良いじゃないか、、、」等と自問自答していた。

さて、掃除のおばさんとはいえ、ある意味困った人(と思われた)の人助けをしたような気持ちになっていたボクの気持ちは何となく少しだけ晴れ晴れとしていた、、、恐らくこんな形だとは言えもう一生会う事も無いであろうロシアに住む人との係りが一瞬でもあったからだろう、、、モスクワについて以来何とも暗いどんよりとした雰囲気に包まれていたのでこんなものでも気晴らしになった、、、しかし、自分が直面している状況は実は暗雲立ち込めていて、まずいつホテルを出て空港に行けるのか?どうやって?何で?等という事が一切解らずため息がでる問題であった、、、

そこで、ロビーの受付に行き英語を理解すると思われた従業員に何とかつたない英語を駆使してそれらの事を尋ねたが、、、この受付の人間もイマイチ解らない様で「まだ解らない、後で来い」的な事を言っているようで、それ以上は不明であった、、、何とも心細い状況、、、。

とりあえずモスクワからヘルシンキに向かう飛行機の出発時間は解っているからそれに間に合えば何でもよいのだが、ここはロシア、しかもサービスとかおもてなし等という事が略皆無なサバイバルな所、うっかりしていると置いてけぼりになりかねない、、、出発前に部屋にお知らせに来る等というVIP待遇的なサービスは絶対にありえない、、、仕方ないのでしばらくしたら又来て確認しようと一旦部屋に戻った。

昨晩ホテルに着いたときにはある種新鮮であった色々なものも慣れてくるととくに面白みも無く、特にどこかに行けるという事も無く(正式なビザがないのでホテルからは出られない)、部屋は暖房されていてもむしろ寒く冷たい隙間風が寂しい心の間をピュ〜ピュ〜と吹いている様で、心も体も冷えているような感じさえあった、、、どういう予定で動けばよいのかわからない、注意していないと置いていかれるかもしれないというある種の焦りみたいな感情も合わさり落ち着いて待ち時間を過ごすという気分にはなれなかった、、、。

一応いつでも出られるように準備はしていた、何が必要になるのかを考え、パスポートと航空券は必須である、それとこのホテルに来る為に発行されたトランジットパス、これも大事だ、入っている場所を何度か確認したりして日本から持ってきていたソ連用の地球の歩き方なんかを見たりして時間を潰した。

ある程度時間がたった頃に荷物はそのままに又部屋を出て一階の受付にどうなっているのかの確認に行った、、、今回も前回と同じ反応、、、仕方なく部屋へ戻った、、、これが何度か繰り返された。

何度目であろうか、バスが来るという様な事を言っているようだ、「来るのか?」「ダー」と返事したかどうかは定かではないが、、明らかにこれまでとは違う返事だったのでもう直ぐバスが来るのだろうと理解し部屋に戻り荷物を持ってチェックアウトする準備をした、たった一晩だが何とも言えないエキゾチックな体験を与えてくれた部屋に別れを告げ例のボロいエレベーターで1階のロビーへ向かった。

キーを返してあっさりとチェックアウトして人の動きも外の様子も見られるロビーのベンチに座りバスを待った、空港に行く人間は一人という事は無いだろうから人の動きを見逃さなければ取り残されないだろうと思っていた。しかし、荷物をもってホテルを出るような準備をしている人はまだ誰も居なかった、、、多少不安はあったがここはロシアだし何がどうなるか読めないので多少待たされても部屋に居るよりはリスクが低いだろうと考えると幾らか気持ちは楽であった。

しかし、待てども待てども何か起きる様子は無かった、、、1時間以上は待っている、、、「う〜ん、どうなっているんだろうな〜、、、」、、、しかし拙い英語で聞いたところで何かわかるという事もないだろう、、、ととにかく忍耐で待つ事にした、、、30分、、、1時間、、、さすがに待ちくたびれた、、、荷物をしょって受け付けに確認に行って何とかどうなっているのかを聞いた、、、「とにかく待て」みたいな感じであった、、、それ以上何も得る事は出来なかった、、、出発するような人がまだ誰も居ない、、、「まったく、ど〜なってんのよ、、、」と途方にくれたが言葉が出来ないというのはこういう事なのだと見にしみて感じていた、、、

又ベンチに戻り座っていると、なんとあの掃除のおばさんが又現れた、、、別の場所の床をモップで拭いている、、、「えっ?あのおばさんまだ掃除してるんだ、、、」、、、しばらくすると、そのおばさんはボクにの存在に気がつき、何やら又物乞いするような雰囲気をかもし出しはじめている、、、いやいやいや、、、悪いけどそんなに毎回恵んであげられないよ、、と心の中で言っていた、ある種の冷たい目で見ていたと思うが、、、でも簡単にめげるようなおばさんじゃない、それはそうだ、当時のロシアの状況を考えれば何が何でも、藁にもすがるような気持ちで仕事していたに違いない、、、当然おばさんは又ボクにアプローチしてきた、、、

いやいやいや、、、おばさん、悪いけどもうあげられないよ、きりが無いから、、、と思いながらボディーランゲージで示すがもちろん直ぐに諦めるおばさんじゃない、ちょっと離れたかと思ったら掃除をしながら又近寄ってくる、、、そんな状況が何度か続いたが、、ボクが出すそぶりを一向に見せない様子にさすがにおばさん周りの状況もあるし不自然に宿泊客に近づいていると怪しまれるので離れていってどこか違う方に消えていった、、、。

そんな出来事があったからか時間の経過は余り気にならなかったが、ロビーに来てから相当な時間がたっていた、、、まだ日が高い内に来たがもう薄暗くなり日が沈みかかっていた、、、すると他の宿泊客で空港に行くと見られる人達がちらほらと見られるようになった、、、ようやくバスは来るのか?と何となく一安心であった。

そうこうしている内にだんだんと出発客が増えていきいつしか空港に向かうバスがホテルに到着した、、、ようやく動ける、、、只々事が進むという事が気持ちを前向きにしてくれた、、、そうなんだ、空港に行って飛行機に無事乗れればエストニアの友人達に会えるのだ、、ある種の疲れもあっただろう、気持ちは早くこの場を去りたいというものだけであった、、、

来た時と同様に空港の裏ゲート的な所をバスは通って空港ビルに向かって行った、ずっとホテルの窓からみていた景色が目の前にあるのはある意味新鮮さはあった、、、既に暗く少ない明かりに照らされ浮かんでいる景色を眺めながら空港ビルに近づいていくバス、、、大型の旅客機や貨物機、、、普通はあまり見られないであろうバックステージを見ているのはそれなりに楽しくもあった、、、

が、バスが専用ゲートに到着して降りて直ぐにそんな気持ちは吹き飛ばされた、、、トランジット客は次々にバスを降り、ボクも続いた、、、で、若い軍人と思われる空港職員が客のトランジットパスを確認していた、、、あっそうだ、トランジットパスか、、、すっかり忘れていた、、、入れていたはずの懐にしのばせた隠し袋の中を確認した、、、「あれ?、、、無いな、、、おかしいな、、、、」、、、焦った、、、

客はどんどんとパスを見せて空港ビル内に入っていっていたが、ボク一人だけバックパックを地面に降ろし、服やズボンのポケットというポケットをあさり、トランジットパスを探した、、、「無い、無い、、、うゎ〜、、、なぜ無い!!、、、」、、、かなり焦った、、、あれだけ大事だからと見つけやすいところに入れたはずなのに、、、

どの位経っただろうか、客はボク一人になってしまっていた、、、おかしな様子に軍服を着た若い職員は手を差し出し「トランジットパスを早く出せ」とプレッシャーをかけてくる、、、焦ると余計に慌てて見つけられるものも見つけられなくなっていた、、、、自分の体には身につけていないという事を理解したボクは、もうこうなったらバックパックの中身を全部だしてでも見つけなければ、、、というある種パニック的な状態になっていた、、、相変わらずプレッシャーをかけてくる職員の男、、、しかし出来れば中身を全部空港の床にぶちまけて探すというという事は避けたい、、、そんな気持ちでバックパックの中に手を突っ込んで必死に手探りで中をあさっていると日本から非常食用にと持ってきていたカロリーメイトがあった事に気が付いた。

「そうだ!この男にカロリーメイトをあげてちょっとでも取り入ろう、、」とひらめき、おもむろにカロリーメイトを取り出した、、、その職員は「ん?何だ?シガレットか?」とまぁ慢性的な物不足だった当時のロシアで外国物のタバコ等の高級品は普通の人は手に入れられないものだったであろう、、、男の目の色が変わった、、、「シガレットなのか?」と聞いてきて、「いやいやいや、、、これはジャパニーズクッキー、ベリーデリーシャス、、、」等と言うと、男は「そんなものはいらない」という様なジェスチャーをして、シガレットを出せ、と物を要求してきた、、、

いやいやいや、、、タバコを吸わないボクはタバコなんぞは持っていない、、、「シガレットは無いのか?、、」という様な感じの言葉を発しているようだったが、、、とにかくこの場を逃れたいボクは「これは気持ちです、、、」とその男にカロリーメイトを握らせて何とかその場を繕おうとした、、、するとこの男はボクがトランジットパスを出せないという事に痺れを切らし、側によってきてこっそりとお札を指先でいじるジェスチャー(欧米等でのお金の意味、多分ロシアでも使われていたんだろう、、、)、つまりお金というジェスチャーをして「20USドル」と金を要求してきた、、、「あちゃ〜、、、、絶対どこかにトランジットパスはあるはずなんだが、、、」、、、とにかく必死に探し、入れそうな所を手当たり次第探した、、、服の間、書類の間、、バタバタと何度も何度も同じ様な所を確認するが無い、、、ようやく本当になくしてしまったのか?、、、と思い出したボクは「もうしょ〜が無い、この男の要求どおりに20ドル払って何とかこの場を切り抜けるしかない、、、」という思いになっていた、、、、

一度言い出しその気になったこの男、しきりに指先のジェスチャーを見せながら「20ダラ〜」と言い寄ってくる、、、20ドルはまぁそんなにべらぼうな額じゃないが、当時のロシアでは大金であった、、、ある意味あの程度でよかった、と、今から振り返れば言えるえるのかもしれない、、、もし今であれば数万からもっと上を要求されていても逃げられない状況ではあったとも言える、、、、一旦金を要求してきた男は早く金を出せ!という勢いで、もうトランジットパスどころではなくなっていた、、、「OK、OK、、、、」本当はあまり出したくなかったが腹に忍ばせていた隠し袋を服をまくって現金を確認し、10ドル札を探した、、、間違っても高額紙幣等を見せたらそれごと取られかねない、、、しかし隠れるわけにも行かずなるべく見えないように何とか10ドル紙幣を探し出した、、、しきりにジェスチャーで要求するこの男に20ドルを渡すとそれをさっと隠すようにポケットにしまうと、胸ポケットから何も書かれていないトランジットパスの原紙らしきものを出してボクのパスポートを見て手書きで何やらコソコソと記入し始めた、、、、

恐らく今この男がしている事は不正だろう、、、しかし賄賂を要求する事はロシアや東ヨーロッパでは日常茶飯事で、ホンモノの警察官でもそういう事をやるのも珍しくないお国柄だ、手馴れたようにこの男はトランジットパスに何か記入している、、、すると運悪く?同僚?或いは上司のような感じの少し年をとった感じのこれまた軍服を着た男が近づいてきて、「どうしたんだ〜?」みたいに声をかけてきた、、、うわぁ〜、、、やばい、、、こいつにも金をせびられるのか?、、と何とも言えない気持ちになっていたが、、

するとグッドタイミングで賄賂を受け取った男はトランジットパスを書き上げ「別に問題ない、」と記入し終えたトランジットパスをいかにも今確認した的な演技をして俺に渡し「いいぞ、行け」みたいに手で合図してそこから開放された、、、、ブルースリーのドラゴン危機一髪!じゃないが、正に危機一髪だった、、、とにかくホッとした、、、しかし「何でトランジットパスは無いのだ、、、バカ野朗!!!」、、、とちゃんと用意していなかった自分に腹が立った、、、

その後は特に問題なく飛行機に搭乗したように思う、、、というのはこの出来事の印象が強すぎてその後の記憶が略抜け落ちてしまっているのだ、、、、だからその部分の記述は日記には見つからなかった、、、

とにかくヘビーな体験をしたモスクワであったが、ヘルシンキに向かう飛行機に無事に乗るとそんな体験もある種の面白おかしい出来事の様に思えてくるから不思議です、、、、後日談になりますが、この問題のトランジットパス、、、ホテルで見ていたガイドブックの間に挟まれていた、、、ガイドブックを見ながら無意識に挟んでしまっていたらしい、、、20ドルで買ったとも言えるこのトランジットパスは今でも記念にとってあります、全て回収されるはずのものなのである種誰も持っていないレアものだろう、、、見る度に苦笑いしてしまう、、、

マレの友人宅の子供部屋のベッドに横になり、少し薄暗い曇り空を眺めながらそんなモスクワでの出来事を思い出しながら今はもうエストニアに来ているんだという実感を噛み締めながら「本当にマレに無事に会えてよかった、、、そしてこうして友人宅にお世話になれて本当に助かった、、、」と感謝しつつマレ達が起きてくるのを待った。


 つづく  エストニアとの出会い 「いざタリンへ」