船がエストニアのタリン港に近づき接岸の準備を始めていよいよボクの鼓動は高鳴り始め、期待と不安とが入り混じり、とにかく気持ちが高揚していました。船上からはじめて見たエストニア夜景の印象は、フィンランドから来たせいか、少し薄ぼんやりと少しくらい感じでした。それもそのはず、つい数年前までは社会主義国であったソ連邦の一共和国だったのですから賑やかな訳がありません。
でもボクにとってはその方が逆にとても新鮮で、フィンランドのきちんと整備されていて豊かな暮らしが一目で分かる所よりも、色々な歴史を経験してきた未知の世界エストニアがどんな国なのかという方に興味心身でした。でもそんな気持ちの中にもここはかつては社会主義国だったと言うことで不安があった事も事実です。
これはボクの個人的な感情なのですが、勉強不足だったボクはこれまで直ぐ隣の国だったソ連と言う国について殆ど知らなかった為、その未知の世界、社会体制は変わったもののエストニアの生活は依然としてソ連時代のスタイルはあるだろうし、モスクワで一泊してきた経験も有り、サービス等は殆ど期待できない、サービスとは無縁の世界の鉄のカーテンをかいくぐるような気分でした。そんな不安な気持ちの唯一の支えは現地に友人が居るということだけでした。
ソ連と言えばKGBやら特権階級が牛耳る貧富の差が激しい社会で、物不足は日常化していて、食品を買うにしてもいつも行列が出来ている等々余り肯定的でない印象もあったのですが、実際に来てみると、エストニアは一番西ヨーロッパに近く、独立後の超インフレ等の混乱期は落ち着いてきているせいか、フィンランド等と毎日ビジネスマン以外でも人やものの往来が有りそうな光景をみると、ある程度は市民生活もゆとりがあるのだろうか?と考えながら連絡通路が繋がるのを待っていました。
|
ようやく連絡通路が繋がる頃は扉の回りは我先に出ようとする人でえらい込んでいて、ボクは慌てて出る必要も無いと思い最後の方の空いてる空間に荷物を降ろし人々が動き出すのを待っていました。船の出入り口のゲートが開いて10分ぐらいした頃でしょうか?ある程度人が居なくなってからようやく背中にバックパックを担いで船を出ました。
イミグレーションに繋がっていると思われる金属製の外の冷たい空気が隙間から吹き込んでくる連絡通路を歩き出し遠くに見えてきたイミグレーション(入国審査)には多少審査を待っている人達が居ましたが最後の方に出てきたからなのか外国人が少ないからなのか案外スムーズに審査していて、直ぐにボクの順番が回ってきました。
さぁーどうでしょうか?ボクのパスポートにはエストニアのビザは有りません。日本に居る間に得た情報では90日以内ならいらないはずです。少しドキドキしながら体がでかい男の入国審査官(国境警備員らしく、軍服のような制服を着ていたのでちょっと雰囲気が怖い)の様子を伺っていると入国のスタンプが押されて無事に入国、「ふーっ、良かった」と無事に入国完了、後は誰か迎えに来てくれている事を期待しながら建物の出口に向うのでした。
現在あるタリン港のターミナルビルは当時の面影を残す物は全く無い全然違う大きな新しい建物になっていますが、当時のターミナルビルはそれ程大きくなくシンプルな構造で、通路を通ると広いロビーのような広間がありその周りに店、両替、チケット売り場があったのですが到着した時間が遅かったせいか何とすべてしまっていたんです。「あらー、両替しようと思ったけど到着時でもしまっているとは、、」考えてみれば当たり前で、旅行者は殆ど居ない時期の最後の便ですから真夜中まであけているだけ経費の無駄です。
|
この両替できなかった事が実はヒジョーにやばかった事に気が付くのにはさほど時間は掛かりませんでした。最後の方に出てきたボクは、ガラーんとした建物内にポツポツとイミグレーションから出てきて家路に急ぐ僅かな人々(ではなかったかもしれませんが、ボクにはそう思えた)を見つめながら血の気がサーっと引いていくのが分かりました。
手元にあるのはフィンランドで両替しておいたフィニッシュマルカが少しと、米ドルのトラベラーズチェック、日本円のみ、「こうなったらホントに友人が迎えに来てくれていないとマズイな〜」といちるの望みを託しながら広場から外へ出られる唯一の一応機能してたエスカレーターを降りていきました。
建物内とはうって変わってダイレクトに外に繋がっているエスカレーターを降りた所は薄暗く、しかもとても寒い所で周りを見回すと誰かを待っている人影がある様子はなし、、、
それでもその光景を見るまでは「Oh! Hello Toshio! Welcome to Estonia!!!」な〜んていう感じで友人が迎えに来てくれているんじゃないか??、、等とちょっぴり期待してましたが、、、裏切られ、、、「う〜ん、、、マジか??、、、」本当に来ていないか??、、、とあちこちをキョロキョロ、、、何度も辺りを見ましたが友人が来ている気配は全く無し、、、
恐れていた事の一つが目の前の現実としてある事にボクの寂しいひとりぽっちの小さな心が北欧の寒空の風に吹かれながら、縮みあがっていました。
降りた所に居たのは家族などに連絡をする為に公衆電話で電話を掛ける人とその順番を待つ人が多少いるのみ、人はどんどん居なくなりターミナルに残っている人も殆ど居ない状態でした、、、「時間を勘違いしているのかな?、、早めに来すぎてどこかで時間をつぶしてるのかな?、、」等と勝手な希望的観測でボクの縮んだ心を励ましながら、迷子にならない程度に建物の周りを歩いて友人らしき人影を探しました。が、そこにはむなしく金が必要なタクシーが居るのみ。
いよいよホントに来ていない現実を飲み込み始めたボクは仕方なく暖を取るためターミナルビル内の広場に戻ることにしました。このときの心境は子供の頃に親からはぐれて迷子になった時の心細さに似ています、、、日本からはるばるヨーロッパの端の北国まで来て、路頭に迷ってしまうのか?、、、しかし成す術もなく船内で両替をしなかった事を後悔しながらビルへと戻るボクでした。
|
つづく
エストニアとの出会い 「不安&ピンチ」