日本のはるか遠くに位置する、ヨーロッパ北欧そこで発行されている書籍や写真集、観光案内ガイドなどは通常は現地でしか手に入らないものです。それらの本の中には日本で手に入れる事が出来たらとてもいいもの、貴重なもの、役に立つものがあり、ここでは現地で販売されている一般的な書籍等を現地より直接購入出来るとってもお得な北欧エストニア発のサイトです。エストニアに行かれる前に、或いは何方かへの贈り物としてお役立てください。
日本では手に入らない本を現地より直接購入できるとても便利なサイトです。


北ヨーロッパにあるバルト海に面した小さな国、エストニア共和国、このページではそのエストニア現地から直接購入できる書籍類のカタログを下に表示しています。 エストニアでは外国語で書かれた本としては英語はもちろん、日本語で書かれた書籍類も多数発行されています。

ただそれらの本は現地でのみ販売されている為日本での入手が困難な為、 エストニア夢工房では個人輸入代行サービスとしてオンライン上から通販の様にエストニアの本を注文する事が出来ます。




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”私とエストニアとの出会い”


思い返せばボクが始めてエストニア人に会ってからもう十年以上になります。1990年当時ボクは実を言うとエストニアという国を良く知りませんでした。初めて耳にしたのが1991年、一度目のアメリカとイラクの湾岸戦争と同じ時期に
ソビエト国内で起きていた独立運動を鎮圧する為にソビエト軍がバルト三国へ武力介入し隣国ラトヴィアとリトアニアで多数の市民が殺された日本のニュースを見た時です。

いろんな意味で外国に関心があったボクは、世界各地で起こっている出来事や事件、ドキュメンタリー等の番組を録画したビデオテープの中バルト三国があったことを覚えています。その時はまさかこんなにボクがバルト三国の一つエストニアという国に係る事になろうとは夢にも思ってもいなかったのですが、ホント運命というのは不思議な物です。 学生時代最後の年に初めてヨーロッパのアイルランドへ一人旅に出たのをきっかけにボクの中の海外への興味はますます強まっていきます。
当時アルバイトしていた喫茶店の友人がデンマークに留学していた経験があり、そこで知り合ったソ連に住む友人について彼が話をしていたのですが、それが実はソ連から独立間もないエストニア共和国の人だったのです。

91年当時エストニア国内では独立後の混乱がまだ続く中、喫茶店で働くボクの友人は彼らと連絡を取り合っていて、今ならまだソビエト連邦に住む人として非常に安く国内移動という形で、日本海に近いソ連極東の町ハバロフスクまで飛行機で来られる、これが最後のチャンスだと思うので、ぜひエストニア人の友人達を誘って日本に来たいという話が持ち上がりました。
ボク達はとにかく彼らの日本観光ビザ発給のための招待状等の手配や安く宿泊できる大学の施設を確保をして、 彼ら(10名)を迎える準備をし、92年春、独立したエストニア共和国の国民として彼らは遙々日本に来たのですが、まだその当時は、パスポートもソ連の物を使用していたし、日本にはまだあったソ連大使館が旧ソ連共和国内の人達の扱いを行っていました。

男女5人づつの20台半ばから後半のバイタリティー溢れる個性的な人達で、母国からわざわざアコーディオンと民族衣装を持ってきて、彼らの民族音楽(フォークミュージック)等を演奏し踊り歌うのを見てとっても感動したのを覚えています。

当時あまり経済的に豊かとは言えなかったエストニアから来た彼らにとって節約しているにしても日本での滞在費用は高く、彼らの日本滞在は僅か一週間でしたが、色々な所へ出かけ、過ごした時間はとても思い出深く、心優しく豊な彼らを見てボクは人生の幸せって何なのだろうと思いました。
学校を卒業後海外へ行こうと決めて資金を貯め始めていたボクは、彼らとの出会いで人生観が変わったかも知れません。何よりも先に彼らの国を知りたいと思い日本で手に入るエストニアの本や資料を読んで、実に辛い時代を乗り越えて今があるという事を初めて知って、これは何としても彼らの国を訪れるべきだと思い、約一年半後ある程度貯まったお金を使い彼らを訪れる事にしたのです。

1993年秋エストニア、海外へ一人で出た二度目の旅はそれまでに味わった事のない様々な出会いと感動を経験する事になります。

日本からの直行便がないエストニアへはフィンランドから船で行く事にしました。乗り継ぎ便で夜ヘルシンキにモスクワから飛行機で着いたボクは、その日最後にエストニアのタリンへ向かう船の出発時間が迫っていたので、急いでタクシーを飛ばして港に向かいました。

しかし北欧では10月はもう冬、寒さと見知らぬ街に一人でいる心細さと、エストニアには無事たどり着けるのだろうかといった不安の入り混じった複雑な気持ちでタクシーの中で揺られていました。 

     つづく   エストニアとの出会い続編




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