日本のはるか遠くに位置する、ヨーロッパ北欧そんな遠くの小さな国エストニア。想像もつかない様なこの国で、現地の人々やこの国を訪れる北欧やヨーロッパの観光客等に人気のエストニア製ハンドメイドのチョコレート。2世紀近くに渡ってチョコレートを中心とした菓子類を作り続け数々の博覧会やコンテスト等で入賞してきた地元エストニアの老舗メーカーKALEVの手作りチョコレート製品を現地より通販で直接個人輸入出来るお得な北欧エストニア発のサイトです。一風変わった何方かへの贈り物としても喜ばれると思います。
エストニアの老舗お菓子メーカーの手作りチョコレートを現地より直接通販で購入出来ます




2世紀近くに渡ってお菓子類を作り続けている老舗KALEVとはどんな会社でしょう?



エストニアのお菓子メーカーとしてとても長い歴史をもつこのKALEV自体やその歩んできた歴史についてもう少し詳しく掘り下げてみましょう。この会社の元のお店が始まったのは実に200年近く前の1806年、過酷な時代を生き抜いてきたエストニアの農民が自由を手に入れる少し前の帝政ロシア時代にまでさかのぼります。

当時はまだKALEVという名前ではありませんでした。この当時のエストニアはドイツ人貴族や商人、僧侶等のエリート階級社会と貧しい農民階級社会とに別れていた時代で、この頃にエストニアで商売をしていたのは主にドイツ人の商人たちでした。 そんな中ペーストリー焼き職人のLorenz Caviezelがエストニアの首都タリンのピックストリートにある現在のカフェMaiasmokkの場所でお菓子を作り販売する商売をはじめたのが最初です。


Georg Stude

そして1816年、当時のロシア皇帝アレクサンドル一世がその当時行われていた農奴制を廃止し農民が自由になり、その後改革が進んで1848年と1860年に農民による農地の自由な購入を認める法律が出来て、 ようやくエストニア人は真の自由を手に入れました。丁度そんな頃の1864年、それまでにこのお菓子メーカーは様々な人の手に渡りGeorg Johann Studeがオーナーになった時に転機が訪れました。

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Georg Johann Studeはお菓子の製造販売事業の拡張を決めて、今でも残る新しいより大きな場所への移転し、その頃になるとこのメーカーのお菓子類は海外でも知られる様になるくらい有名にでした。 その後順調に事業規模を拡大し、第一次大戦後ドイツの敗北で撤退したドイツ人に代わって再び侵攻してきたソ連軍との戦いに勝ち初めて勝ち取ったエストニアの最初の独立時代(1919〜1940)当時存在した様々なエストニア国内の他の製菓会社と合併し、 1930年ごろの世界恐慌も乗り越え、アメリカやイギリス、フランス、チュニジア、モロッコ、インド、さらには中国にまで製品を輸出するなど大きな産業に成長していました。

それが大きく変わったのが、独立を喪失した1940年の事です。企業は全て国有化され、 この製菓会社(当時の名前はKAWE)も当然のごとく国有化され他の様々な企業とも合併する等大きな変化の時期でした。 そういった大きな変化を経験しソビエト体制下に入りながらもこの製菓会社は成長し続け、 1948年に当時の名称はイデオロギー的な理由からソビエトの企業として相応しくないという事で、現在の名称KALEVを投票で決めその名称が現在も使われています。

ソビエト時代は西側への取引が殆ど無かった為エストニア国内への製菓類の供給はもちろん、ソビエト共和国全体へも供給するなど、ある程度の生産規模を維持していて、ソビエト時代でも国際博覧会などで入賞したり、 ソ連のクレムリンの支配階級層の権力者達にも気に入られてい等優れた製品を生産していました。そしてその後何十年にも渡り大きな変化が無かったKALEVに2度目の大きな転機が訪れる、 まだ記憶に新しいソ連邦の歴史的な崩壊が起きた1991年を迎えるのでした。

ソ連崩壊後KALEVは社会体制や経済状況が不安定だった為エストニアの国有企業として事業を継続していました。しかし独立後の数年間はそれまでの状況と180度変わった為厳しい状況が続きましたが、経済状態が安定してきた95年ごろから民間企業としての準備を始め、 96年に現在の株式を公開したKALEVエンタープライズになりました。

今は順調に成長を続けているて、無添加のチョコレートや本来の味わいを生かした製品作りや手作りのチョコレートの製法を現在も続けている地元エストニアの人々に愛されている地域に密着した企業です。

地元の人に親しまれているKALEV
KALEV SHOP

地元エストニアの人々に人気があるKALEV

KALEVは200年余りに渡って幅広い種類の品質の良い菓子類を製造販売してきました。生産量はハンドメイドと言う事等も有り、 その年その年によって生産量は違います。今、菓子類の製造はいくつかのグループに分けられ、 一番大きいのが、プレーンチョコレート、板チョコ、チョコレートキャンディー、箱入りの各種混ぜ合わさったチョコレート等のチョコレート菓子類と、 その他、砂糖菓子、キャンディー、Dragees、Chews、Marzipan、チューインガムやココア製品等もあり、約250種類の違った製品を生産しています。

様々な種類の製品を開発し新しく発展させていく中で、KALEVはそれまでの長い間の念願であった自然の原材料にこだわり、 保存料などの添加物を使わない高品質の製品を提供し始めました。

KALEVはこれまでにブリュッセル、大阪、 モントリオールなど世界27カ国で開かれた世界博覧会に出品し、その高い品質と製品で、モスクワ、Plovdin、Leipzigで金メダルを獲得し、 1993年にはKALEVは国家企業としてゴールデングローブ賞とインターナショナルゴールデンスター賞を与えられました。

エストニア国内では1995年、96年、97年、2000年にエストニア国内における菓子類部門の最高賞を受賞し、 マーケット調査会社Emorによって行われている市場調査によれば、2000年のエストニアではKALEVのトレードマークは一番価値が高く、 ポジティブ(肯定的な)イメージのトレードマークであるという事が発表されました。

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これはボク自身の個人的な意見ですが、ここまで100%エストニア企業であるKALEVが人気が有るのは、 エストニア人は自分の国や文化、伝統などをとても誇りに思っている人が多く、なぜなのかは恐らくそれまでの歴史背景にあると思いますが、 とにかく自分の国の物を応援すると言う意識が強く、独立当時は日用品や食料品の多くは輸入品で、それが市場を独占していましたが、 エストニア国内企業が体力をつけて独自のオリジナル製品を販売し始めるとあっという間に市場のシェア率が逆転して、アイスクリームなどは輸入品ではなく現在は殆どがエストニアの製菓会社の物になっています。

これまでに何度も外国に侵略されてきて、今でもエストニア人のみの人口は100万人弱という単一民族としてはかなり少ないグループに属しているエストニア人はお互いに支えあい、 協力し発展していかないと国や自国民が消えて無くなってしまうと言う危機感のような物がそうさせているのかもしれませんね。

エストニで長い伝統を持つKALEVのチョコレート製品を現地より直接手に入るオンラインカタログはこちらです




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